すてきな世界をみるブログ

「今こそ清く高く、爽やかに生きて下さい。」(三島由紀夫)

何が言いたいかわかった。【映画:アイズワイドシャット】

※ネタバレありです。

 

キューブリック監督の「アイズワイドシャット」。

昔 一度 観ているけど、結婚して性生活に悩みを持つようになったこともあり、もう一度 観てみた。

昔観た時は自分がまだまだ子供だったし、だいぶ忘れてもいたので、今やっと真に鑑賞できたと思う。

2001年宇宙の旅」などとは違い、意味がわからないということはなかった。けれども、見終わったとき、・・・もやっとしたんだよね。ん???って感じ。何でだろう?何だろう この気分は???と思った。

筋はとおっている。危険なアドベンチャーを何度も間一髪でくぐりぬけることができてよかった!その幸運とかけがえのない日常に感謝して、夫婦でセックスする、あぁ幸せだ!という気分になっているのなら、もやっとすることはなかっただろう。

たぶん、私と同じようにもやっとした人が多いから「駄作だ」「がっかりした」「小さくまとまったな」などの感想があふれているんじゃないかな。

ニコール・キッドマンのラストの一言「Fuck」にニヤリとさせられ、してやられた!さすが!うまいなー などとと思わせられるものの、逆に、言葉のインパクトでそれまで観ていた脳が真っ白になり、「それ (fuck) だけの映画だったのかな?」と思い、キューブリック監督は、最後に性について撮りたかったのか?→ 小さくまとまったな、失望した、という感想になる気がする。

キューブリック監督はfuckについて撮りたかったのかな?と調べてみると、『「幸福なカップルに存在するセックスについての矛盾した精神状態を探り、性的な妄想や実現しなかった夢を現実と同じくらい重要なものとして扱おうとした」―これがキューブリック自身、この作品に寄せた唯一の公式コメントとされている 』ということを知った。なるほど!それは、個人的にとてもよくわかった。私も同じようなことで悩んでいるから。映画を振り返っても、ニコール演じるアリス(妻)が抱いた欲望や夢、トム演じるビル(夫)がしようと試みたことという、「現実にはなり得なかったけれども心の中に起こったこと」が、現実と同じくらい重要であることはよくわかり、夫婦の間でこの二人のようにお互いの夢や欲求や試みをつまびらかにするカップルはあまりいないと思うけれど、これは「それをお互いすべて打ち明け合った夫婦」の映画である、と思って見ようとすると、筋がとおっている。なるほど。

なるほど、と思うものの、どうしても引っかかる。それにしては、あの仮面乱交パーティが、心に残りすぎるのだ。「夫婦のセックスと実現しなかった性的な夢」を描こうと思うとき、あんなに衝撃的な仮面乱交パーティをあえてはさんだのは、単に耽美的で淫靡で緊張感のある映像を撮りたかったからなのか?あの儀式的な仮面乱交パーティで、ただ驚かせドキドキさせ、キューブリックはさすがとがってるな、と思わせたかったのか?単なる「スパイスの効いたシーン」なのだろうか?と、疑問に思ったのだ。

 すると、ニコール・キッドマンが最近このシーンについて語っていて、納得した。

cinesoku.net

「仮面乱交パーティー」は、監督の命を賭けた告発だったというのだ!――納得。だから、誰が見ても一番心に残るように作られていたのだ。

映画では、あのパーティは何だったんだろう?とどうしても気になるトム・クルーズ演じるビルが、あの場に居たジーグラーに呼び出されこう言われる。「あれはフェイク(嘘)なんだよ!ステージ(やらせ)なんだ!」

 さらに、トムの「じゃああの死んだ女性は?あれも偽だっていうのか」との問いに、ジーグラーは「あれは事故だ。誰も殺してない。彼女は時間の問題だったんだ。人は誰でも死ぬ。医者ならわかっているだろう」と答える。

キューブリックは殺された、という説がある。トムとジーグラーの会話は、まるでそれについての会話のようにも聞こえる。

ラストの「Fuck」は、この世の欺瞞(フェイク)に対するキューブリック監督の遺言で、私たちには「アイズワイドシャット(目を大きく閉じて)」という言葉を遺したんだと思う。それは、見えないものを見なさい とか、見ているようで何も見ていない とか、見たくても見てはいけない とかいう意味で、この映画は、私たちには見えないもので世界はできていてこの世はフェイクなんだ、それに対し自分はFuckと思っている、というメッセージなんだと思う。