すてきな世界をみるブログ

「今こそ清く高く、爽やかに生きて下さい。」(三島由紀夫)

キューブリックとスピルバーグが世界の真実を描いた【映画 A.I.】

ネタバレありです。

 

キューブリックの原案を、スピルバーグが受け継いだ。キューブリックの遺志である「裏の意味」は、きちんとこめられている。

私は、この作品で特に重要なのは、以下の会話だと思う。

 

「あの月は本物?」

「わからない」

 

◆月について 

これは、この作品でもっともショッキングな場面のひとつ、「ジャンクフェア」のくだりで出てくる会話だ。もっとも印象的な場面で使われているということも、その証拠。アイズワイドシャットでもそうだったが、キューブリック監督は、衝撃的な場面は意味なく使っているのではなく、一番言いたいことがそこに絡めてあるのだ。

これはとても自然な会話だが、この会話で何を伝えたいのか。それは、この会話そのまんまのことを伝えたいのだ。何を言っているかわからなかったら、「月 人工物」でググってみてください。

私はこの会話に鳥肌が立ったが、映画のラストシーンでさらに確信した。

ラスト、2000年後の世界でも、窓の外に大きな満月が出てきます。2000年後にも地球の周りには月があるだろうし、不思議じゃないだろう、と思うかもしれませんが、自然に見えるから映像にできるのです。自然に見えるけど、不自然だと思いませんでしたか?ラストシーンのこの満月。あえてまた満月なのは、ジャンクフェアのシーンの満月を思い出させ、もう一度「あの月は本物?」「わからない」という会話を、見る者に想起させるためなのです。なぜもっとわかりやすく表現しないのかというと、それがタブーであり、気づく人のみに送られたメッセージだからです。

 

海底遺跡

マンハッタンが海底に沈んでいる。

これは過去、現実に海底に沈んだ都市があるということを、示唆している。それは、ムーとアトランティス。「本当に沈んだのだ。実在したのだ」ということを、示唆している。気づく人だけに。

 

 

アカシック・レコード

2000年後の世界で、デイビッドを再起動した高度なA.I.により、デイビッドのメモリーが読まれ、デイビッドのすべての経験が高度なA.I.たちに伝えられます。

これは、アカシックレコードを意味していると思いました。とは言っても、私の中でまだ「アカシックレコード」がきちんと理解できていないので詳しいことは語れないのですが・・。

ロボットなんだからデータが保存されていて、それを読んだだけじゃんw というのはごもっともなのですが、そうではないと思う理由は次で書きます。

 

◆宇宙人

高度なA.I.は、一見宇宙人のような見た目をしています。これは「高度なA.I.というのは表向きで、見た目どおり宇宙人である」ということです。

宇宙人は本当にいるのか?人間以外に知的生命体はいるのか?いるとしたら地球には来るのだろうか?来るとしたら何をしに? ということは未確認であり未知である、ということになっているが、本当にいるし地球に来ている。それが公になっていないから、知らない人向けに「高度なA.I.」という設定にしてあるだけ。

部屋にいるデイビッドの様子を、まるで箱の上から覗くように高度なA.I.が見ているシーンがありますが、これは、地球の私たちを創造主である宇宙人がこのように上から観察していることを意味していると思いました。

 

◆悪意の所在

映画のずっと序盤に戻りますが、デイビッドが本当の子供になりたくて、おまじないのためにママの髪の毛をはさみで切った時。デイビッドがプールで腕を刺され危機回避システムが作動したためにマーティンにしがみつき、マーティンをプールに落とすことになってしまった時。デイビッドに悪意は無く、悪意があったのはマーティンら人間の方だった。また、デイビッドに(実際には無いのに)悪意があると見出したのも人間だった。ジャンクフェアを見ても、ロボットたちに悪意は無かった。悪意は人間の側にある。

悪意は、ロボットの創造主である人間にある。

これを現実に当てはめると、悪意は人間の創造主である神(=宇宙人)にある、と言える。

もちろん、悪意ではなくロボットを作り、ロボットのよき友である人間もいるのと同様に、すべての神=宇宙人が悪なのではないし、今では人間も悪意を持つ。

 

◆ジャンクフェア

 増えすぎたロボットを創造主である人間たちが粛清する(破壊する)のがこの「ジャンクフェア」。元の英語では「Fresh Fair(フレッシュフェア)」。フレッシュとは、肉のこと。つまり、人口が増えすぎた人間たちを、創造主であるレプティリアンたちが粛清、大量虐殺しますよということ。

純粋に創造していなくても、操作はされているという意味で。

 

 

◆脳内プログラム

私たちの思考にも、デイビッドのママへの愛と同様、プログラムされたものがある。

 

思い出せるのはこんなところです。

「妄想炸裂させて見ているだけ」と思うかもしれないが、目に映る単なる映像と耳に聞こえる単なる言葉を単なる筋書きを追いながら見ればそれでよい映画もあるし、この映画もそれだけで楽しめるようにもできているので、それだけでいいよという人にはそれだけでいいと、スピルバーグキューブリックも言うだろう。気づいていない人に気づかせようというよりも、気づく人に「そうだよ。そのとおりだよ」と伝えるために作られていると思う。

気づいていない人から見たら妄想炸裂だろうけど、目と耳で筋書きを追うと同時に、「観念で見る」というのかな、それは直観的なものです。