すてきな世界をみるブログ

「今こそ清く高く、爽やかに生きて下さい。」(三島由紀夫)

戦争や終末論。(思考は現実化する・イマジン)

戦争は起こってほしくないし、世界の終わりなんてきてほしくない。

私たちは一般的にそう思っていると思う。私も、そう思っていると、思う。

でも、胸に手をあてて考えてみてほしい。

「戦争・・起こったらどうなるんだろう?どうなるのかちょっと見てみたい気がする」などと、自分には関係ない気がして安易に非日常を求める気持ちや、「起こるはずがない。起こるものなら起こってみろ。見てみたい」という、過信から逆に興味をもつような気持ちが、心のどこかに無いだろうか?

きっと、人々のそういう念が一定数に高まって、現実化するんだと思う。

たとえば10年前、「第三次世界大戦が起こる」なんて思っていましたか?私はまったく思いもしませんでした。でも今は、「今にも起こりそう」と言う人がゴロゴロいるし、ミサイルが飛んだりして、「戦争が起こる」ということが身近に感じられるようになっています。

起こりそう(と言われている)→ でも起こらない。ミサイルもやっぱり落ちなかった。でもいつ落ちても不思議じゃない → また発射。落ちないとは思うけど、いつ落ちても不思議じゃない → また落ちなかった → また発射。落ちても不思議じゃない。そのうち落ちるかもしれない → また落ちなかった → また発射。落ちるかもしれない。いつかきっと落ちるだろう。(早く落ちてほしい)と、思うようになり、その頃には潜在的に「もう戦争だろう(早く戦争になってほしい)」と思うようになっているのだと思う。そして、満を持して戦争が起こるのだと思う。

だから大事なことは、世の中の流れみたいなものに流されて「いやだけどこうなってゆくのかな・・」と未来のビジョンを描くのではなく、「そういう未来はお断りだ。こうなっていってほしい!」と望むビジョンを描くことだと思う。各々一人ひとりが。私も含めてね。終末論についても同じ。

私は世の不正を見るあまり、その不正のシナリオの先にある悲観的な未来のビジョンを、一緒になって見てしまうところがある。かと言って、ただ根拠なく楽観視はできないけれど、せめて「こうなってほしい」という未来のビジョンをありありと妄想してみたいと思う。慣れていないのでいきなりは難しいけど、そのカギは「今の自分の『快』の延長」にあると思うので、『快』を感じたらそこから未来にひっぱっていってビジョンを描いてみたい。ひとりイマジン(笑。よかったらあなたもどうですか?