すてきな世界をみるブログ

「今こそ清く高く、爽やかに生きて下さい。」(三島由紀夫)

近々の予想。(9月21日~10月22日まで)

・メキシコの地震やバリの小規模地震の頻発などが起こっているが、日本には、

 10月22日の解散総選挙までは大きな地震は起こらない。

北朝鮮のミサイルも、飛ぶけれど落ちることはない。

・台風くらいは来るが、大きな災害にはならない。特に、福島原発に影響が出ることは

 ない。

戦争や終末論。(思考は現実化する・イマジン)

戦争は起こってほしくないし、世界の終わりなんてきてほしくない。

私たちは一般的にそう思っていると思う。私も、そう思っていると、思う。

でも、胸に手をあてて考えてみてほしい。

「戦争・・起こったらどうなるんだろう?どうなるのかちょっと見てみたい気がする」などと、自分には関係ない気がして安易に非日常を求める気持ちや、「起こるはずがない。起こるものなら起こってみろ。見てみたい」という、過信から逆に興味をもつような気持ちが、心のどこかに無いだろうか?

きっと、人々のそういう念が一定数に高まって、現実化するんだと思う。

たとえば10年前、「第三次世界大戦が起こる」なんて思っていましたか?私はまったく思いもしませんでした。でも今は、「今にも起こりそう」と言う人がゴロゴロいるし、ミサイルが飛んだりして、「戦争が起こる」ということが身近に感じられるようになっています。

起こりそう(と言われている)→ でも起こらない。ミサイルもやっぱり落ちなかった。でもいつ落ちても不思議じゃない → また発射。落ちないとは思うけど、いつ落ちても不思議じゃない → また落ちなかった → また発射。落ちても不思議じゃない。そのうち落ちるかもしれない → また落ちなかった → また発射。落ちるかもしれない。いつかきっと落ちるだろう。(早く落ちてほしい)と、思うようになり、その頃には潜在的に「もう戦争だろう(早く戦争になってほしい)」と思うようになっているのだと思う。そして、満を持して戦争が起こるのだと思う。

だから大事なことは、世の中の流れみたいなものに流されて「いやだけどこうなってゆくのかな・・」と未来のビジョンを描くのではなく、「そういう未来はお断りだ。こうなっていってほしい!」と望むビジョンを描くことだと思う。各々一人ひとりが。私も含めてね。終末論についても同じ。

私は世の不正を見るあまり、その不正のシナリオの先にある悲観的な未来のビジョンを、一緒になって見てしまうところがある。かと言って、ただ根拠なく楽観視はできないけれど、せめて「こうなってほしい」という未来のビジョンをありありと妄想してみたいと思う。慣れていないのでいきなりは難しいけど、そのカギは「今の自分の『快』の延長」にあると思うので、『快』を感じたらそこから未来にひっぱっていってビジョンを描いてみたい。ひとりイマジン(笑。よかったらあなたもどうですか?

 

キューブリックとスピルバーグが世界の真実を描いた【映画 A.I.】

ネタバレありです。

 

キューブリックの原案を、スピルバーグが受け継いだ。キューブリックの遺志である「裏の意味」は、きちんとこめられている。

私は、この作品で特に重要なのは、以下の会話だと思う。

 

「あの月は本物?」

「わからない」

 

◆月について 

これは、この作品でもっともショッキングな場面のひとつ、「ジャンクフェア」のくだりで出てくる会話だ。もっとも印象的な場面で使われているということも、その証拠。アイズワイドシャットでもそうだったが、キューブリック監督は、衝撃的な場面は意味なく使っているのではなく、一番言いたいことがそこに絡めてあるのだ。

これはとても自然な会話だが、この会話で何を伝えたいのか。それは、この会話そのまんまのことを伝えたいのだ。何を言っているかわからなかったら、「月 人工物」でググってみてください。

私はこの会話に鳥肌が立ったが、映画のラストシーンでさらに確信した。

ラスト、2000年後の世界でも、窓の外に大きな満月が出てきます。2000年後にも地球の周りには月があるだろうし、不思議じゃないだろう、と思うかもしれませんが、自然に見えるから映像にできるのです。自然に見えるけど、不自然だと思いませんでしたか?ラストシーンのこの満月。あえてまた満月なのは、ジャンクフェアのシーンの満月を思い出させ、もう一度「あの月は本物?」「わからない」という会話を、見る者に想起させるためなのです。なぜもっとわかりやすく表現しないのかというと、それがタブーであり、気づく人のみに送られたメッセージだからです。

 

海底遺跡

マンハッタンが海底に沈んでいる。

これは過去、現実に海底に沈んだ都市があるということを、示唆している。それは、ムーとアトランティス。「本当に沈んだのだ。実在したのだ」ということを、示唆している。気づく人だけに。

 

 

アカシック・レコード

2000年後の世界で、デイビッドを再起動した高度なA.I.により、デイビッドのメモリーが読まれ、デイビッドのすべての経験が高度なA.I.たちに伝えられます。

これは、アカシックレコードを意味していると思いました。とは言っても、私の中でまだ「アカシックレコード」がきちんと理解できていないので詳しいことは語れないのですが・・。

ロボットなんだからデータが保存されていて、それを読んだだけじゃんw というのはごもっともなのですが、そうではないと思う理由は次で書きます。

 

◆宇宙人

高度なA.I.は、一見宇宙人のような見た目をしています。これは「高度なA.I.というのは表向きで、見た目どおり宇宙人である」ということです。

宇宙人は本当にいるのか?人間以外に知的生命体はいるのか?いるとしたら地球には来るのだろうか?来るとしたら何をしに? ということは未確認であり未知である、ということになっているが、本当にいるし地球に来ている。それが公になっていないから、知らない人向けに「高度なA.I.」という設定にしてあるだけ。

部屋にいるデイビッドの様子を、まるで箱の上から覗くように高度なA.I.が見ているシーンがありますが、これは、地球の私たちを創造主である宇宙人がこのように上から観察していることを意味していると思いました。

 

◆悪意の所在

映画のずっと序盤に戻りますが、デイビッドが本当の子供になりたくて、おまじないのためにママの髪の毛をはさみで切った時。デイビッドがプールで腕を刺され危機回避システムが作動したためにマーティンにしがみつき、マーティンをプールに落とすことになってしまった時。デイビッドに悪意は無く、悪意があったのはマーティンら人間の方だった。また、デイビッドに(実際には無いのに)悪意があると見出したのも人間だった。ジャンクフェアを見ても、ロボットたちに悪意は無かった。悪意は人間の側にある。

悪意は、ロボットの創造主である人間にある。

これを現実に当てはめると、悪意は人間の創造主である神(=宇宙人)にある、と言える。

もちろん、悪意ではなくロボットを作り、ロボットのよき友である人間もいるのと同様に、すべての神=宇宙人が悪なのではないし、今では人間も悪意を持つ。

 

◆ジャンクフェア

 増えすぎたロボットを創造主である人間たちが粛清する(破壊する)のがこの「ジャンクフェア」。元の英語では「Fresh Fair(フレッシュフェア)」。フレッシュとは、肉のこと。つまり、人口が増えすぎた人間たちを、創造主であるレプティリアンたちが粛清、大量虐殺しますよということ。

純粋に創造していなくても、操作はされているという意味で。

 

 

◆脳内プログラム

私たちの思考にも、デイビッドのママへの愛と同様、プログラムされたものがある。

 

思い出せるのはこんなところです。

「妄想炸裂させて見ているだけ」と思うかもしれないが、目に映る単なる映像と耳に聞こえる単なる言葉を単なる筋書きを追いながら見ればそれでよい映画もあるし、この映画もそれだけで楽しめるようにもできているので、それだけでいいよという人にはそれだけでいいと、スピルバーグキューブリックも言うだろう。気づいていない人に気づかせようというよりも、気づく人に「そうだよ。そのとおりだよ」と伝えるために作られていると思う。

気づいていない人から見たら妄想炸裂だろうけど、目と耳で筋書きを追うと同時に、「観念で見る」というのかな、それは直観的なものです。

 

 

結婚相手に出会う方法【橋本治「結婚」からの~】

橋本治の「結婚」を読み、自分が結婚を決めたときのことを思い出したので書いてみます。

 

結婚

結婚

 

 

結婚しないという選択肢がある現代。(以下の「人」は女性について書いています)

何も考えなくても結婚できた、という人は、

・恋愛の勢いで結婚する

・妊娠したので結婚する

・結婚してもいいなと思ったタイミングに結婚してもいいなと思う相手が居て結婚する

のどれかだと思う。それはざっくり思い浮かべると、若いうちに結婚した人、結婚するつもりがなかったけど結婚した人、相手に困らなかった人、だと思う。

対して、この3つのきっかけが人生において起こらなかった人は、自分は「結婚しない(できない)」可能性があるのかな、と脳裏をかすめる。

では、もし結婚したいなら、どうすればいいか。

答えは・・どう生きるかを決めればいい、です。

ちなみに「結婚したい」というのは、どう生きるかを決めたことにはなっていない。わたしがそうだった。

わたしはもともと結婚願望が強くて、ずっと結婚したかった。でも、結婚したいとだけ思っていて、どう生きたいかを考えていなかった。「好きな人と結婚して子供を産んで家庭に入りたい」とだけ思っていた。彼氏は結婚のことを考えていなかったけど、いつかわたしと結婚しようと思うはず、と信じて恋愛をしてきた。

それは、「どう生きるか」ではなく「どう恋愛するか」だったのかもしれない。

わたしが結婚を決める前、わたしは別の人と恋愛中だった。凄く好きだった。

その人は結婚しない主義を掲げていて、でも相変わらずわたしは「好きな人=その人」と結婚したい、いつかわたしと結婚しようと思うはず、とそこを目指して恋愛していた。

長期戦になるかもしれなかった。そうこうしているうちにわたしは子供を産めない年齢になり、気がつけばもう誰かと恋愛結婚なんて考えられない年齢になる。そうなってから破局したり彼が死んだりしたら、彼との思い出を胸に生き続ける乙女のようなおばあちゃんになろう。生活は、わたしは刹那的な非正規社員で結婚しなくても生きていける経済力はないから、親も亡くなったら、スーパーのレジ打ちや掃除のおばちゃんなど、ほそぼそとでも一生コツコツ働いて、それでも恨みごとなどなく、清らかに乙女のように生きよう。

または、起業して、成功して、将来の経済的な不安で恋愛を諦めなくていいように、お金を稼ぐ人になる。(わたしは当時、自己啓発をしていた)それは一番輝く未来だ。ハードな道で血反吐を吐く努力と苦しみが必要だけど・・。でも、そんな輝く未来が彼との恋愛のもたらした果実になるなんて素晴らしいから、がんばろう!

仕事からの帰り道、キラキラ光る川沿いの土手道を歩きながら、そんなことをイメージして、結婚しない人生の覚悟を決めていた。今は親が家賃を払ってくれているし、時給がよくて拘束時間が少ない、手取りがいい仕事にたまたま就いている。それに、毎日歩いても飽きない、こんな気持ちのよい川のそばに住んでいる。ゴントランシェリエのパンを食べて、好きな勉強をして・・。優雅。ずっとこんなふうに生活をしていきたいな・・。優雅に生きたい。そう、わたしは優雅に生きたい。

その時、はっきりと、自分がどう生きたいかに気がついた。

清らかな乙女のようなコツコツ働くおばあちゃんになる人生は・・ゆくゆくは、もっと家賃の安い粗末なアパートに引っ越さなきゃいけないかも。経済的余裕もなく、貯金もままならなくなり、わたしは体力がないから毎日バタンキューで、本を読んだり映画を観たりっていう、文化的余裕はないんじゃないかな。。それは、いやだ・・。

お金を稼ぐ人になるとしたら、今の仕事の契約が切れる2年後までにめどをつけなければ・・。でも、正直、はかはかするのは性に合っていないんだよな。。野心も積極性も、もともと無いし。本来のわたしらしい、本来の女性らしい生き方がしたいよ、それよりも。

そして優雅に生きたい。そのためには、結婚しよう。と、決めたのでした。

誰と?①好きな彼 ②まだ見ぬ新しい人 ③元彼

そして、よりを戻そうと言ってくれていた元彼と、結婚することにしたのでした。

結婚してみて、気ままな一人暮らしとは違い、家事も後回しというわけにはいかないし、超早起きだし、一人の時間も少なくなり、別に全然「優雅」じゃない。のに、心が落ち着いている。

心が優雅。毎日 優雅に生きています。

 この小説の倫子は、ある時から結婚したいと思いはじめてジタバタするんだけど、いつも「ピンとこない」。なんでピンとこなかったかというと、どう生きるかを決めてなかったから、ピンとくるはずがなかったのだ。どう生きるか、つまり、自分で自分の「生きる姿」が見えたとき、まだ相手に出会ってもいないのに、倫子は「あぁ、私は結婚できる」と思うのです。

この本の感想として、ラストが唐突とか意味がわからないというのを見かけるけど、わたしにはよくわかった。このブログを読んで、この本を読んでもらったら、もしかしたらわかるかもしれません。そしてあなたが結婚相手に出会い、自分の生きたい人生に進めましたら嬉しく思います。 

何が言いたいかわかった。【映画:アイズワイドシャット】

※ネタバレありです。

 

キューブリック監督の「アイズワイドシャット」。

昔 一度 観ているけど、結婚して性生活に悩みを持つようになったこともあり、もう一度 観てみた。

昔観た時は自分がまだまだ子供だったし、だいぶ忘れてもいたので、今やっと真に鑑賞できたと思う。

2001年宇宙の旅」などとは違い、意味がわからないということはなかった。けれども、見終わったとき、・・・もやっとしたんだよね。ん???って感じ。何でだろう?何だろう この気分は???と思った。

筋はとおっている。危険なアドベンチャーを何度も間一髪でくぐりぬけることができてよかった!その幸運とかけがえのない日常に感謝して、夫婦でセックスする、あぁ幸せだ!という気分になっているのなら、もやっとすることはなかっただろう。

たぶん、私と同じようにもやっとした人が多いから「駄作だ」「がっかりした」「小さくまとまったな」などの感想があふれているんじゃないかな。

ニコール・キッドマンのラストの一言「Fuck」にニヤリとさせられ、してやられた!さすが!うまいなー などとと思わせられるものの、逆に、言葉のインパクトでそれまで観ていた脳が真っ白になり、「それ (fuck) だけの映画だったのかな?」と思い、キューブリック監督は、最後に性について撮りたかったのか?→ 小さくまとまったな、失望した、という感想になる気がする。

キューブリック監督はfuckについて撮りたかったのかな?と調べてみると、『「幸福なカップルに存在するセックスについての矛盾した精神状態を探り、性的な妄想や実現しなかった夢を現実と同じくらい重要なものとして扱おうとした」―これがキューブリック自身、この作品に寄せた唯一の公式コメントとされている 』ということを知った。なるほど!それは、個人的にとてもよくわかった。私も同じようなことで悩んでいるから。映画を振り返っても、ニコール演じるアリス(妻)が抱いた欲望や夢、トム演じるビル(夫)がしようと試みたことという、「現実にはなり得なかったけれども心の中に起こったこと」が、現実と同じくらい重要であることはよくわかり、夫婦の間でこの二人のようにお互いの夢や欲求や試みをつまびらかにするカップルはあまりいないと思うけれど、これは「それをお互いすべて打ち明け合った夫婦」の映画である、と思って見ようとすると、筋がとおっている。なるほど。

なるほど、と思うものの、どうしても引っかかる。それにしては、あの仮面乱交パーティが、心に残りすぎるのだ。「夫婦のセックスと実現しなかった性的な夢」を描こうと思うとき、あんなに衝撃的な仮面乱交パーティをあえてはさんだのは、単に耽美的で淫靡で緊張感のある映像を撮りたかったからなのか?あの儀式的な仮面乱交パーティで、ただ驚かせドキドキさせ、キューブリックはさすがとがってるな、と思わせたかったのか?単なる「スパイスの効いたシーン」なのだろうか?と、疑問に思ったのだ。

 すると、ニコール・キッドマンが最近このシーンについて語っていて、納得した。

cinesoku.net

「仮面乱交パーティー」は、監督の命を賭けた告発だったというのだ!――納得。だから、誰が見ても一番心に残るように作られていたのだ。

映画では、あのパーティは何だったんだろう?とどうしても気になるトム・クルーズ演じるビルが、あの場に居たジーグラーに呼び出されこう言われる。「あれはフェイク(嘘)なんだよ!ステージ(やらせ)なんだ!」

 さらに、トムの「じゃああの死んだ女性は?あれも偽だっていうのか」との問いに、ジーグラーは「あれは事故だ。誰も殺してない。彼女は時間の問題だったんだ。人は誰でも死ぬ。医者ならわかっているだろう」と答える。

キューブリックは殺された、という説がある。トムとジーグラーの会話は、まるでそれについての会話のようにも聞こえる。

ラストの「Fuck」は、この世の欺瞞(フェイク)に対するキューブリック監督の遺言で、私たちには「アイズワイドシャット(目を大きく閉じて)」という言葉を遺したんだと思う。それは、見えないものを見なさい とか、見ているようで何も見ていない とか、見たくても見てはいけない とかいう意味で、この映画は、私たちには見えないもので世界はできていてこの世はフェイクなんだ、それに対し自分はFuckと思っている、というメッセージなんだと思う。

 

 

 

鶏もも肉のカレー照り焼き【レシピメモ(お弁当用)】

お弁当に作ったら旦那様に好評価で、もも肉のときの最近のお弁当はいつもこれ。とっても簡単で失敗がないのでメモしときます。

 

◆ 鶏もも肉のカレー照り焼き ◆

◇ 材料(2人のお弁当分)

  • もも肉 ・・・・・・ 200g

  ★醤油 ・・・・・・・・・ 大さじ1
  ★みりん ・・・・・・  大さじ1
  ★SBカレー粉 ・・・  小さじ1

  • 塩、こしょう

 

◇ 作り方

① 鶏もも肉を食べやすい大きさに切る(そぎ切り)

② ★の調味料をあわせておく

③ フライパンをよく熱し、鶏もも肉を皮目から入れ、両面を色が変わるまで焼き、軽く塩こしょうする

(鶏から油が出るので油をひかなくてもよいが、好みの油をひいてもよい)

④ ②のあわせ調味料を入れ、返しながら汁気がなくなるまで照り焼きにして出来上がり

 

とってもかんたん!

 

本日のお弁当では、レタスを敷いた上にこのカレー照り焼きのせ、蒸したブロッコリー&蒸したアスパラ、かぼちゃとレーズン炒めにカッテージチーズを散らしたものを、おかずにいたしました ♪

SBカレー粉のおかげで失敗ということがないので、おすすめです♪

(S&Bの回し者ではありません。)

 

エスプレッソにお砂糖。【嗜好品:コーヒー】

なるほど。↓

 

maru-presso.hatenablog.jp

 

mochimocq.hatenadiary.jp

 

そうか。今までエスプレッソなんて何が美味しいんだろう?と思っていたのは、何もいれずに飲んでいたからだったのですね。

というわけで、早速いきつけの大変美味なイタリアンのお店でエスプレッソを頼み、砂糖を入れて飲んでみました。

 

‥‥。うん、苦いwww

たぶん、ついてきたお砂糖では、甘みが足りなかったのでしょう。多分。。

「砂糖を入れたら、エスプレッソ美味しかった!!」と言いたかったのですが‥、次回に持ち越しかな!